昭和四十五年十二月二十九日朝の御理解
信心の心得
一、障子一重がままならぬ人の身ぞ
一、まめなとも信心の油断をすな
障子一重がままならぬ人の身であるが故に、いよいよ信心の油断をしてはならないとゆう事ですね。障子一重がままならぬ、それが人の実相である。そこに元気だからと言うて、お金があるからと言うて、決して信心の油断をしてはならんぞと。
仏教で申しますと無常観、無常の風は時を嫌わぬ。本当に元気だからと言うて決して当てになるものではない。無常の風が吹いたら、いつでも、もう暫く待ってくださいとゆう事はできん。
ところが金光大神の道は、この無常の風が時を嫌うぞと。そういうところにお道の信心の有難さを、とりわけ感じる訳ですねえ。そこのところを、お繰り合わせとゆう風に申します。
成らんところが成っていく、助からんはずのものが助かっていく。ですから、そういうおかげを受けてゆくとゆう事が、その為に信心の油断をしてはならないとゆうのです。
信心の油断をすなと、信心の油断をしないとゆう事は、いつも心に神様を念じておるとか、心にかけておるとゆう事なんですけれども、只、金光様、金光様と心の中に唱え続けとるとゆう事ではない。
私は、信心の油断をしてない人の姿というものは、いつも感謝がある。神様に対する感謝の念を、いつも持っておる。いつも心の中に反省の念を持っておる。そういう感謝の心と、言わば、いつも自分を見極めようとする心と、
そして、いつも反省させて頂いておると言う、そう言う事がまめなとも信心の油断をしていない人の姿であると。いわゆる、これで済んだとは思わんとゆうような思い方が、いつも心の中にある。
ですから、神様は、それでもやっぱり私共は油断しておる事がおおいです。
そこで、神様はね、お道の信心の有難いとゆう事は、信心にちょっと油断が出来とると、神様がほらほら油断してるぞといわんばかりに気をつけて下さる。
そこで、ハッと気付かせて頂いて信心の油断をして居ったなと思うて、そこのところの取り返しが出来る。そこにお詫びがあったり、反省がなされたりする訳なんです。
そういう例えば生きた信心、生活の中に神様がいつも吾と共にあってくださって、神様がいつも油断をしておると、ほらほら転ぶぞ、ほらほら怪我するぞとゆうようにですね、口で言うて下さらんばかりに、そうゆう生きた働きとゆうものを身辺に感ずることが出来る。
そうゆう信心がなされる、いわゆる感謝と反省なんです。ですから、実際、実生活に当たらせてもらうと、実生活の中に信心を求めてまいりますとです、おかげ頂いた、これもおかげとゆうように感じさせて頂く事が沢山あるわけです。実際に信心に取り組んでみると…・。
また、実際、取り組んでみるとです、本当に相済まん事だなと、こんな事ではいけないと言ったような反省させられる場面とゆうものが沢山ある訳です。
そうゆう生き生きした、いわゆる神様を身近に感じての信心生活が出来てまいりますところからです、障子一重がままならぬ人の身ぞと、成る程そうなんです。障子一重向こうが分らない。いうならば風前の灯火のような私共、いつ無常の風だ吹いてくるか分らない。
そうゆう、言うなら中にありながらです、おかげが頂ける、おかげが頂けるとゆう強い心がね心の底から沸いてくる。そこに、お道の信心の有難さがあるようですねえ。
本当にそうですよ。これは、私が半年間の兵隊生活をさせて頂いた時に、もう愈々今晩は駄目だ、今日はいけないかなと思うようなことに何回か、そうゆう危機にさらされた事がある。
例えば、汽車に乗って行きよるのに、山が両方からあって、その汽車の転覆も計られて、もう汽車は動かなくなった。そして、山の両方からボンボンボン撃ってくるのですからねえ、そうゆうような事もあった。
それかと思うと、それは真の闇夜の夜中に出撃させて頂いて、敵弾、あたまの千に一発万に一発炸裂する事が必ずあるとゆう、そうゆう敵弾頭を炸裂した為に、その辺が昼のように明るくなった訳です。
ですから、あそこに日本の兵隊がおるとゆう事が分ったもんですから、それこそ雨霰、そこに集中攻撃を受けた事がある。
何人もの戦友がなくなった。そして、私共、そうゆう中を次の駅まで行かなければならない時、もう負傷した兵隊を交代でおんぶしながらね、次の駅まで行く時には、もういよいよ今夜は難しいなあとゆう時だった。
ところが、足はもうガタガタ震うごたる。どんどん撃ってくる中を、鉄道線路を負傷したのをおんぶして次の駅まで行った時なんかは、もう愈々今日はひょっとすると全滅になるかもしれん。もう足はガタガタ震うごと怖い。
けれどもね、不思議に私の心の底から沸いてくるもの「私だけは助かる、私だけは助かる」とゆう心でした。勿論、それから皆助かった訳ですけれどもねえ。何人かの戦死者が出来たり負傷者が出来ただけで、他は全部おかげ頂いたのですけれども。そうゆう危険にさらされていながらもですね、心の底からです、信心頂いているとゆう事は有難いと思う。そうゆう土壇場ででもですね、今考えてみれば、いかにも利己主義のようですけれどもそんな心が実際に沸いてきた。「自分だけは助かる、自分だけは助かる」いったような心が沸いてくるのです。
足はガタガタ震うけれども、心の底に何とはなしに力強いおかげが頂ける。それが、私は生きた神様を信心しておるものの値打ちだと思う。
そこにはです、まめなとも信心の油断をすなと、その当時の事を思うてみると油断だらけの信心であったとは思うけれども、いつも神様が身近についてござると言ったような感じがする。いつの場合にでも不思議におかげを頂いておる。
だから、いうならば自信のようなものが出来て、他の者はこれは全滅になるかもしれんけれども、自分だけは助かられるといったようなね、不思議な力が沸いてくる。
障子一重がままならぬとゆう、その事実はね、これはそうなんですけれども、そうゆう中にあっても神様の御守護をいわば受ける事が出来るとゆうひとつの信念。いわゆる宗教的信念とゆうのが、段々強うなってくる。
段々信心が本筋になってきて、本当な事になってきて、いわゆる今年の信心のスローガンである、「世のお役に立ちたい」といったような願いが強うなるとですね、神様がおかげ下さらんはずがないと言ったような強い信念が生まれてくる。
昨日、竹葉会でした、私も入らせて頂いたんですけれども、その中で佐田さんが発表しておられました。あちらの遠い御親戚に当たるところにお医者さんがある。もう六十からなられる。
お医者さんですから、患者さんの臨終に立ち会われた事も、もうそれこそ沢山な数であった。最近、その事に対して非常に霊妙と言うか、不可思議と言うか、人間の命の不思議さとゆうものを感じられるようになった。
心に一つのよりどころを持った人の臨終は非常に美しいけれども、無神論とでも言うかねえ、神も仏もあるもんかとゆう行き方をしている人たちの臨終に立ち会って、これはただ事ではないぞと、臨終の研究者とでもいうかね。人間が、愈々この世にサラバをしていく時の姿に不思議なものがある事に気付かれた、とゆう話をねまさっておられます。
ですから、今日の御理解から障子一重がままならぬ人のみぞと、成る程、仏教の人の無常観に似ておりますけれども、実は、本当は確かにそうだ。人間の知恵、力ではどうにも出来ないものが一杯ある。本当に障子一重向こうのことが分らんのだけれど、神様のお心が分り、お心に添い奉るとゆう行き方。
そうゆう行き方をさせて頂くところに感謝があり、確信があり、安心がある。
だから、臨終の時だけではなくてですね、そこに、私共が日々お生かしのおかげを頂いておる中にもです、信心のある者とない者の違いがハッキリして来るとゆうのが金光様の御信心なんだ。死ぬる時でなからにゃ、分らないといったもんじゃない。日に日にが、確信に充ちた生活が出来る。勿論、そういう確信に充ちた、それは人間は、一度は必ず死ななきゃなりませんからね。
けれども、そこにはです、生きても死にても天と地はわが住みかと思え、といったような大変な事柄が何とはなしに分ってくる。死んだからというて神の世話にならんわけにはいくまいが、死に際にも願えとゆうような心強い信心が身についてくる。その辺のところをね、私は、お道の信心によって体得して。
だから、それは、ひとつ間違いますとですねえ、その辺のところがまた大変おかしな者になって来るのです。いわゆる、ご利益信心、ただご利益のところだけが分ってくる。
だから、夕べの御理解でも申しましたけれども、本当の障子一重がままならない人の身であるとゆうような事が分ってくる。そこに自分の命が信仰を求める。
御利益信心を求めるとゆう事になって来るから、あっちはもう本当にあり難い、勿体無いであげん一生懸命、合楽に参りござった、とゆうような人達がね、スパッと信心を止めてしまうとゆうような人達がいくらもある。
もう、この人は絶対動かんとゆうような、熱烈な信心しておった人達がサッパリ止めてしまう人達がある。これはね、その人の命が信心を求めていなかったからです。障子一重がままならぬ人の身であるとゆう自覚が出来ていなかったからです
いわゆる、ご利益を求めておったからです。だから、自分の思うようにならなかったら信心をサパッと止めてしまう。
だから、そうゆうです、まあいうなら金光様の御信心はそうゆうおかげが受けられますから、そうゆう例えば、そんなら、点がないじゃない訳ですね。
金光様の御信心はそうゆうご利益を専門の様な頂き方をするとです。そうゆうひどい事になって来る訳なんです。
ですから、そうゆう御利益もさる事ながら、信心の本当な、ギリギリのところ、やはり昔の大宗教家といったような方達は、そうゆうところが誰よりも素晴らしく出来ておったと思いますねえ。
浄土真宗の宗祖親鸞とゆう方ですけれども、その方が十一才の時、家庭の事情でお寺さんに預けられる事になり、そのお寺さんでいわゆるお釈迦様のお弟子になるとゆう訳なんです。
そこで、お師匠さんがそれを引き受けてくださる。そこで行ったその日に、得度を受けることになる訳です。もう、今日は遅いから明日、その得度の式をしようと、お師匠様が言われた時にです。庭一杯に桜が咲いておった。その桜を指しながら、歌を詠まれた。
「明日あると思う心 仇桜 庭の嵐に散らぬものかは」とゆう歌を示された。
もう、お師匠さんがびっくりされた。それこそ、長年の信心をさせて頂いても、そこが悟れないのに、これは大変な大宗教家なるぞとゆうような、そうゆう兆しを感じられた。
それは、おまえの言う通りだから、そんなら今夜のうちに得度をしようと言うて頭を丸められたというお話があります。
あのように見事に咲いておりますけれども、今夜、もし嵐があったら、明日はもう散ってしまっておるかもしれません。お釈迦様のお弟子にならせて頂きたいと発願したからには、もう一時も早うお弟子にならせてくださいとゆう訳であります。
段々、上人様としての修行が出来られて、沢山なお弟子が出来られて、沢山な人が当時、やはり生き仏様のように崇められる程しになられた。
そうなっていけばいく程に、また、それに対する反発と言うか、反対の、いわば当時の新興宗教ですから、従来あった信仰をしている人達から大変な嫉みを受けたり、謗りを受けたりされた時代があった。
その時分に弁円と言うお弟子がありました。その弁円と言う人は、元は山伏であったそして、その当時の新興宗教であるところの、浄土真宗を潰そうと、色々企んだ訳です。
それで、もう、それこそ一晩中かかって、上人様のよそに出られた帰りを待ち受けて、殺そうと致しましたけれども、どうしても殺す事は出来なかった。
山の峰に、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と御唱号の声がするから、山の峰に行くと、もう谷の底に南無阿弥陀仏、だから急いで下の方へ降りると、もう上人様は峰の上を歩いておられた、といったようなもう実に不思議な働きの中で、とうとう一晩がかりで上人様を殺すとゆう事が出来なかった。
そこでとうとう朝方ですねえ、この人は大変なお徳を持った人とゆうので、自分の弓矢を投げ捨てて、上人様の前に平伏した。そして、自分に仏教の道を教えてもらえる、いわゆる自分を弟子にしてくれというて、頼んだと言う、そうゆう因縁を持ったところのお弟子さんであった。
ある時、お師匠である上人様がおい出られた時に、お帰りが遅いから途中までお迎えに出た。それが、丁度、自分が弟子入りを願った、そうゆう事件があった山道の途中まで迎えに行った時に、その弁円が歌を作った。そして、自分の過去の反省、または今日はこうしておかげを受けておる事がです、それこそ感涙に咽んで、過去のことを思うたとゆう訳です。
その歌の中にね、「野も山も 今も昔も変わらねじ 変わりはてたる安心かな」とゆう歌ですね。
野も山も、昔とひとつも変わっていない。この道も、あの時分に今の師匠であるところの上人様を狙った場所である。とても恐ろしい事を考えたものだと、仏様のお弟子にならせてもらい、上人様のお弟子にならせてもろうて、今日は、その上人様を出迎えに来らせて頂いておるが、なんと変わり果てた自分であろうか、有難い事になって来た自分であろうかと言うて感涙に咽んだとゆう歌なんです。
私は今日、障子一重がままならぬ人の身ぞと、まめなとも信心の油断をすなと、信心のやはり基礎になるもの、いわゆる根本となるものはです、やはり自分自信の、いわゆる障子一重がままならぬ人の身であるとゆう自覚。
そこで、まめなとも信心の油断をすなと言われる。そんなら信心の油断をすなとゆう事はどうゆう事かと言うと、それは私は感謝と反省とゆう風に申しました。
上人様が、いわゆる、お小さい時に、既にいわゆる障子一重がままならぬとゆう事になるとゆう事実を悟られたと。どんなに綺麗に咲いても、一夜の嵐に散ってしまうかも分らん。それが、そうゆう果かないものが、いわば人間の命であると悟られた。
そこから、一時でも早う本当な事が知りたい、本当な道を知りたいとお弟子入りを願われた。また、そのお弟子の弁円がそうゆう悪いたくらみを持ほどの人であったけれども、いよいよ上人様のお徳によってお弟子入りをした。
そこに弁円の改まりがあった。感謝があった。日々の反省が、そこに感じられる。
いわゆる、仏の道を学ばせて頂くとゆう事にも、そうゆう、いわば反省、いわゆる感謝、または人生の、人間の重大事であるところの、死生観。
人間は、本当に今日あって明日あるか分らないのが人間。これは、若いから、または年をとっておるからとゆう、これは分らない。
そこで、そうゆう素晴らしい、大変な事を一時でも分らせて頂いて、神様のおかげを頂かなければ立ち行かん、とゆう事実を悟らせて頂くとゆうのがお道の信心。
そこから修行が始まる、そこからひびの感謝の生活、改まりの生活がある。そこから、お道の信心によって頂けるところの生き生きとした安心の心というか、いうなら、私が今日申しました。
今日はもう、皆全滅するかもしれん、今日は皆やられるかもしれんとゆうような中にあっても、自分の心の底からです。兎に角、理屈じゃあない、沸いてくるもの、自分だけは助かる事が出来るぞといったようなね、不思議な力が沸いてくる。その辺のところがね、私はお道の信心の、愈々生き生きした信心。
なるほど、障子一重がままならぬ人の身ではあるけれども、私共が神様の心が分り、世のお役に立ちたいとゆうような一念を燃やしての信心をさせて頂くところからです。それには、それに、いうなら 当てのように頂ける心が、自分はおかげ頂けるぞと。
まあ極端な例を言うと、先日、月次祭にお参りしてくる方が、時間が遅くなった。それで、運転手さんに言うた。「今日、とばせられるだけ飛ばしてくれ、今日は絶対捕まるような事はない」と、その運転手さんに言うた。それで、もうできるだけのスピードを出して、おかげ頂いて、丁度お祭りに間に合うおかげを頂いたとゆうひとがあった。
だから、そうゆう事を私は奨励する訳じゃないですけれども、そうゆうものが沸いてくるのです。それは、心が神様へ向かっておる時ならば、絶対そうゆう事はないとゆう確信が生まれてくる。
そうゆう強い生活が出来る、とゆうことがですお道の信心なんです。為には、まず、いわゆるその根底になるもの、人間の本当の姿、実相、それは障子一重がままならぬとゆうのが、人間の本当の姿だとゆうような事を申しましたですね。 どうぞ